書き込む。ねじ込む。
最近の大きなライフスタイルのチェンジの一つとして、パソコンから距離をおいたことがあります。
これまでは全ての作業をパソコンで行ってきた僕にとっては大きな変化でした。
最近はもっぱら手書きで全てを書き留めています。
それは毎日、日々感じることをじっくりと味わうため。
人生も仕事も、たまにおりてくる閃きも。
全てを噛みしめるようにして過ごしていきたいと思ったからだ。
・日々感じたこと
・閃いたこと
・できごとやお昼に何を食べたか、
・どこにいったか、などなど。
今となっては、僕のメインデバイスはすっかりと手帳になってしまいました。
パソコンは手帳の上で描いた着想を形にする作業で使うだけです。
ですので持ち歩くこともなければ、家でひらけることするほとんどなくなりました。
それにしても、なぜパソコンではなく手書きだと、毎日を深く味わうことができるのだろうか。
色々考えてみたけれど、それを理屈で紐解くのは無理なのような気がする。
おそらく、それは、遺伝子レベルで、手書きと僕、
いや、もしかすると、
手書きと人間は相性がいいのだと思います。
考えてみれば、原始時代から、人間は岩や木に書く・描くということをしてきました。
それに対して、タイピングするという歴史はわずか100年にも満たない。
これが相性の良さとの理由なのだと思う。
ペンを握りしめ、紙に深く押し込んで、筆圧を感じながら、ペンを走らせていく、その感覚はどこか充実感を満たしてくれるような気がするのです。
手書きで何かを記録していくという作業は、その時の記憶や感じたニュアンスや言葉にはならない事柄を脳みそに深くねじ込んでいるような感覚がある。
これは決して、パソコンではえら得ない感覚。